「一人で生きられそう」とかいう褒め言葉
職場の同世代の女の子たちと人間関係を築くのがすごく難しい。
決して喧嘩してる訳じゃなくて、私が気にしすぎなだけであって、でも毎日めちゃくちゃ気にしている。
保育園では「おともだちとなかよく」の決まりがあったけど、決まりがないとこうも人間関係は築けないものなのか。
おともだちではないにしろ、もう少しうまく接せたら良いのにと思う。
もちろん、一切会話をしないなんて無理だから、わからないところは聞くし、ミスしたら謝るし、なんかしてもらったらお礼は言うようにしてる。
でも教えてもらうことを早く減らしたくて、誰かに何かを言われることなく、自分だけが自由にできる領域が欲しくて焦っている。
実際のところは、孤独でも大丈夫だ、と、早く自分を安心させたいのが1番なんだと思う。
今日はイレギュラーな日曜出勤だった。
新しく出会う人はみんな優しくて、大きなミスもなく無事乗り切れたと思う。
「なんで私が!?」と思わされてしまう指示がいくつかあったけれど、新人に人権ないので従った。いずれこんな環境はわたしが変えますから。顔も知らない、まだ出会っていない未来の後輩と契りを交わした。
ライブが終わって、みんなでファミレスに入る流れだった。
帰ります、と勝手に口から出た。今の私は絶対に会話に混ざれない、奇跡的に混ざれたとしても楽しくないから。みんなとは反対方向に歩き出した。
せっかくだからじゃじゃ麺が食べたいと思った。以前ソラマチで食べた記憶がある。
なぜか違う店に入ってしまった。偶然か運命か、地元で有名な盛岡冷麺屋さん。(I'm from Iwate.)
実家にいる時は母が茹でてくれて食べれる冷麺を、
1000円以上かけて、東京の象徴:スカイツリーの中で食べた。
スカイツリーに登りたかったけれど、曇っていたので諦めた。
また押上に来たら登ろうと思った。
コロナで友達に全く会えなかったこともあり、仕事に終われていたのもあり、私はすっかり忘れていたことがある。
仕事をしていても、自粛ムードでも、新しい環境に一人で気軽に飛び込む、は、理論上可能ということである。
性格と躁鬱があいまって、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまうことが最近多々ある。
長文LINEで何人もの友達に救いを求めたい、毎日心療内科に通って先生と話したい、そう思うことがある。
そんな時には思い出したい。私は一人で、どんな場所へも行ける。
大学の友人関係で悩んでいた頃、「レンタルおっさん」というサービスを利用し、初対面のおっさんとカフェで3時間話した。
就職に悩んでいた頃、初めてのメイドカフェに一人で訪れた。一目惚れしたメイドはその後秒でやめてしまった。
夜の歌舞伎町もなんだかんだで一人で行けるようになってしまった。最近は怖いから行ってないけど
そして自粛期間には、料理経験のない私が、大好きな二郎やパンチョの味を家で再現できるようにまでなった。
全部、今の「わたし」を形成するうえで欠かすことの出来ない経験だった。
何が言いたいかというと、職場で人間関係が形成できなくても、他で居場所を作れるんだという話である。
週5で仕事をしていても、週2は遊んで良いんだし、週5の間だって元気さえあれば、仕事が終わり次第、我々には遊ぶ権利がある。
次はスカイツリーの予定を今立てた。きっと窓からの壮大な景色に自分の悩みのちっぽけさを思い知ることになるか、それか高所恐怖症で終わるか、どちらかでしょう。
♪♪♪
「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの? / Juice=Juice